千葉島というのは

日本国から見た蔑称であり、千葉民国というのが正しいです。
国民は日本を和国。自国を菜国と呼んでいます。
菜国は国花の菜の花から来ていると勘違いしている国民も多いのですが、中国の史書に見えるように古代の日本全体を倭国(わこく)、千葉を倭奴国(わのなこく)と呼んだことからきており、近代の千葉の研究者により、日本の中央政府がもともと千葉にあったことがわかっています。
天明4年(1784年)に千葉の畑で農作業中の百姓によって倭奴国王印が発見されたこともそれを裏付けています。
要するに「菜国」というのは「奴国(なこく)」からきており、菜の花は「菜国に咲く花」として「菜の花」になったということです。


それはそうと、千葉の独立以降、日本との間の海「東京海峡」を、「菜の花海峡」に改めるように国連に働きかけている千葉政府関係者がおります。ただし国連にはまったく相手にされないどころか、自国民にも「センスゼロ」と蔑まれ評判が悪いです。
ちなみに、千葉民国代表の学校が甲子園に優勝した際、「深紅の大優勝旗の菜の花海峡越え」と言ったのは昭和42年の習志野高校初優勝よりずっとあと、むつ利之の「名門!第三野球部」の中だけで、一般的には用いられていません。