こんにちは

皆さんにもそのうち瞑想ルームに入っていただきます。

 それはともかく、瞑想ルームに入って座っていると、だんだん目の前に色とりどりの綺麗な光が見え始めた。そして、肉体から感覚が失われていく。それは死の疑似体験であった。死ぬときにはこうなるんだろうな、という気がした。直前に会ったサマナ数人の顔が思い浮かんだが、特に執着はなかったので、その人たちと別れるのはさほど苦しくなかった。そして、意識が遠のいていく。


 もし、ここで意識がとぎれなければ、おそらく成就認定されていたのだろう。しかし、そのまま意識をとばしてしまった。


 どれくらい経ったのだろうか。自分が意識を失ったのは、膨大な量の情報の川の流れに押し流されているからだった。あまりの奔流に意識がついていかないのだ。修行が進めばこの情報が弱まり、意識が飛ばなくなる、というのが教義であるが、自分のように本を読むのが好きな人間は、情報量が多くて意識が飛んでしまう、というわけである。その情報の川の流れの中に、ただただ流されていた。完全に押し流されている状態の中で、ふと「こういうときは、大だ」という言葉が浮かんだ。その瞬間、すべてが鮮明になり、意識がはっきりしたのである。


 その後はきわめて鮮明なヴィジョンが見えた。「これは夢だ」と思って見ている夢のような感覚だった。何か迷路のようなものの中に、ダリのようなシュルレアリスムの奇妙な絵が飾られている空間を通り抜けたりもした。


 一番印象的だったのは、龍の世界のヴィジョンだった。自分は人間の形で、白い革の鎧に身を固めていた。それは柔らかい鹿皮でできているようだった。森の中で槍を持って、片膝をついて座っている。その背後には、あまりにもかっこよく、毛並みのいい、仲良しの龍(ナーガ)がいて、ちょうど愛車を誇るかのように、それは僕の自慢の乗用龍なのだった。そのナーガは真っ白で、「ネバーエンディングストーリー」の映画に出てきた不細工なドラゴンなどとは比べものにならないほど毛並みが良く、カッコイイのである。


 移動するときには、自分はそのホワイトドラゴンの首の後ろに乗っていくのだが、彼(オスの龍だ)は親友でもあり、最高に気の合う相棒でもあった。鎧と槍はあったが、何かと戦っている光景は見なかった。


 と久々にこのときのヴィジョンを思い出して書いているのだが、この僕の大親友の龍について書き始めると、自慢がしたくてたまらなくなるのが不思議である。


 このイニシエーションでは過去世を見ると言われていたから、これは過去の生での龍の天界にいたときのヴィジョン、と解釈すべきだったのだが、自分としては「これが自分の過去世だ」と確信を持ったわけではなかった。思い出した、という感覚はあったが、修行で見るという過去世の条件(BGMとナレーションが入る)には合っていなかったというのも理由である。

関係ないけれども、ドラッグは「ダメ。ゼッタイ。